私の両親は、よく夫婦喧嘩をします。
それは私が小さい頃から頻繁にありました。
2人の怒鳴りあう声を聞きながら、ビクビクしていたのを覚えています。
怒鳴り声が怖くその場にいたくなくて、家出をしたこともあります。
このお正月もそうでした。
大晦日の夜に喧嘩をして、あと少しで元旦になるのに「明けましておめでとう」を待たずに、
父親は部屋に行ってしまいました。
翌朝も、お互いに無視。
毎年家族で初詣に行くのに、今年は結局行きませんでした。
その喧嘩は2日まで続き、仲直りしたかと思いきや4日の夜もまた喧嘩。
2人の怒鳴り声を聞きながら、私の心臓はキリキリしていました。
私は両親を見ていて、2人は本当に心から愛し合ってるのかな?と、
常々思ってきました。
それは、2人が「本音を言えない関係性」だと思うから。
お互いに本心は隠し、直接相手には言わずに、私に悪口を言ってきます。
子どもの頃から、私は間に挟まれてお互いの悪口を言うのを聞かされるのが、
凄く凄く嫌でした。
「私に言わないで直接本人に言ってよ!!」
いつも心の中でそう思っていました。
それと同時に、その喧嘩に巻き込まれないように「良い子」でいることに必死でした。
そんな両親を見て育った私には、「理想の夫婦像」があります。
それは、「本音が言える関係性でいること」です。
何もかも真実を言うことが正しいとは思いません。
でも、「言えない」と「言わない」は大きく違います。
私は、色々とぶつかりながらも、御主人様には「本音」で接しています。
私の中では違うって思ったら、そう伝えています。
本来、「主と従の関係性」において、それは不必要なことなのかもしれません。
奴隷の意見は必要ではないはずだから。
それでも。
私は「造った私」で御主人様には、接したくはないのです。
私が親の前で「良い子」を演じてきたようには。
誰でもない御主人様だからこそ、「本当の私」で向き合いたいのです。
「私を100%素のままで受け入れてくれる」
それが私の愛する御主人様だと思っています。
私は御主人様と結婚しても、あくまでも「主と従」です。
それでいいんです。
私たちは「夫婦の関係」になりたいわけではありません。
御主人様も私も、互いに「主と従」であることを望んでいます。
それなのに、「本音で接したい」なんて言うのだから、
私は奴隷としては失格なのかもしれません。
それでも、こんな私をありのまま受け入れてほしいと思っています。
なぜなら、御主人様が私が人生で初めて「本音」で接することができた人だから。
いま思えば、私が御主人様と出逢ってからずっと100%の自分で接することに
こだわってきた理由が、なんとなく分かったような気がします。
クリックしていただけると嬉しいです^^
それは私が小さい頃から頻繁にありました。
2人の怒鳴りあう声を聞きながら、ビクビクしていたのを覚えています。
怒鳴り声が怖くその場にいたくなくて、家出をしたこともあります。
このお正月もそうでした。
大晦日の夜に喧嘩をして、あと少しで元旦になるのに「明けましておめでとう」を待たずに、
父親は部屋に行ってしまいました。
翌朝も、お互いに無視。
毎年家族で初詣に行くのに、今年は結局行きませんでした。
その喧嘩は2日まで続き、仲直りしたかと思いきや4日の夜もまた喧嘩。
2人の怒鳴り声を聞きながら、私の心臓はキリキリしていました。
私は両親を見ていて、2人は本当に心から愛し合ってるのかな?と、
常々思ってきました。
それは、2人が「本音を言えない関係性」だと思うから。
お互いに本心は隠し、直接相手には言わずに、私に悪口を言ってきます。
子どもの頃から、私は間に挟まれてお互いの悪口を言うのを聞かされるのが、
凄く凄く嫌でした。
「私に言わないで直接本人に言ってよ!!」
いつも心の中でそう思っていました。
それと同時に、その喧嘩に巻き込まれないように「良い子」でいることに必死でした。
そんな両親を見て育った私には、「理想の夫婦像」があります。
それは、「本音が言える関係性でいること」です。
何もかも真実を言うことが正しいとは思いません。
でも、「言えない」と「言わない」は大きく違います。
私は、色々とぶつかりながらも、御主人様には「本音」で接しています。
私の中では違うって思ったら、そう伝えています。
本来、「主と従の関係性」において、それは不必要なことなのかもしれません。
奴隷の意見は必要ではないはずだから。
それでも。
私は「造った私」で御主人様には、接したくはないのです。
私が親の前で「良い子」を演じてきたようには。
誰でもない御主人様だからこそ、「本当の私」で向き合いたいのです。
「私を100%素のままで受け入れてくれる」
それが私の愛する御主人様だと思っています。
私は御主人様と結婚しても、あくまでも「主と従」です。
それでいいんです。
私たちは「夫婦の関係」になりたいわけではありません。
御主人様も私も、互いに「主と従」であることを望んでいます。
それなのに、「本音で接したい」なんて言うのだから、
私は奴隷としては失格なのかもしれません。
それでも、こんな私をありのまま受け入れてほしいと思っています。
なぜなら、御主人様が私が人生で初めて「本音」で接することができた人だから。
いま思えば、私が御主人様と出逢ってからずっと100%の自分で接することに
こだわってきた理由が、なんとなく分かったような気がします。
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